編集者になりたいと思ったのは

こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


今日は、わたしが編集者になったいきさつを、お話ししますね。

わたしが就職活動をしていたのは、1998~1999年の2年間です。

いわゆる「就職氷河期」と呼ばれていた世代です。


今とは時代状況がずいぶん違うので(上の世代ともずいぶん違うようですが)、その点お含みおきください。


就職活動に入る前は、実は人生設計がほとんどない状態でした。

「子ども3人の母親になるのが夢だから、仕事は適当でいいや」とかなりざっくりいい加減な未来予想図でして……。


とはいえ、大学卒業と同時に結婚するような予定はなく、食べていくためにはまず仕事と、流されるように就職活動をはじめました。

同時期に、たまたま知り合った新聞記者の方がボランティアで小論文の添削をしてくれるというので、友人といっしょに見てもらっていました。

生徒2人の小さな小論文教室でした。


小論文を何本も書くうちに「君は記者になりたいんじゃないの?」と言われ、そこからマスメディアの仕事を意識するようになりました。


わたしには、テレビカメラマンの叔父(母の妹の夫)がいました。

そして、母の実家は写真館で、母も伯父もカメラマンでした。

女性でカメラマンは珍しいだろうと、カメラマンの仕事もよく知らず、あまりモチベーションもないくせに、最初のうちはカメラマン志望でテレビ局を受験したりもしていました。(面接で「Gパンを何本持ってる?」と聞かれたのが印象的でした)

当然、そんな状態では面接を突破できるはずもなく。


「自分が興味のあることは何だろう?」と深掘りしていくと、環境問題や社会の理不尽さに強い関心があることがわかりました。

中学生の時に環境問題を伝えるビジュアル本をたまたま読んですごくショックを受けたこと。

大学時代、すでに時代遅れであまり意味のない区画整理が「予算がもうついちゃってるから」という理由で行われて実家が立ち退きにあい、町並みが激変したことにショックを受けたこと。

そういった体験が、自分の中ではけっこう大きかったんですね。

社会問題にわりと怒っている人でもあったので、そういうことに関心が強くて、それは仕事になり得るのかとようやく自覚した次第でした。

それで、志望は「テレビか新聞の社会部記者」と徐々に固まっていきました。


1年目は、某テレビ局で最終面接まで進みました。

筆記が2回、面接が4回くらいあったでしょうか。

最終面接で落ちましたが、「ここまで行けたということは、見込みがあるのかも!」と当時のわたしは考えました。(はは、若いってすごいな)

父にかけあい、4年生の後期を休学にして「就職浪人」させてもらうことに決めました。


翌年も在京のテレビ局と新聞社を受験していましたが、内定までは至りません。

慢心もあったのだと思います。就職活動に向けて特に何かをするということもやっていませんでした。


このままではマズいと、まったく考えていなかった出版社にも目を向けることにして、この時はじめて、出版業界を調べだしたのでした。


就職活動も2年目になり、テレビ局と新聞社を受験してはっきり感じていたことがあります。

テレビ局は海千山千すぎて、わたしにはちょっとついていけないかもしれない。

逆に新聞社を受験する人は生真面目を絵に描いたような、思い詰めたような暗い雰囲気の人が多くて、これはこれでちょっと違うなぁ……。

(注:あくまでその時点でのわたしの主観です。その後、この限りではないということを知ります)


調べ始めた出版社の「編集者」という仕事は、どうもその中間にあるような感触がありました。

たまたま受験した出版社の雰囲気がそうだったということもあったのでしょう。(出版社もまたいろいろですから)


「なぜ編集者なのか?」を深掘りしはじめて、当時のわたしには自分で書きたいという気持ちがなく、むしろ書き手に伴走する黒子向きなのではないかと感じました。


わたしは大した本読みではないとずっと思っていました。

量で言えば読んでいる人はもっと読んでいるし、ひとつのジャンルを体系的に読んだこともない。興味の赴くままに乱読する普通の本好きです。

中学・高校時代は月に1回、郊外型の大型書店へ行き、母と二人で1万円分の本を買うのが楽しみでした。

ただ、自分の中に明らかに本によって培われた部分があり、それはわたしにとってとても大事な部分だという自覚はありました。

自分がそういう体験を送り出す側になれるのはなかなか素敵なことだし、本への恩返しにもなるんじゃないかと考えたのでした。


それで数社を受けたでしょうか。

運よく内定をもらったのが、ある総合出版社でした。


今でも覚えていますが、「このままでは今年もダメかも……」と思い詰めて、大学の就職課に相談に行った帰りでした。

当時はPHSだったか、もう携帯電話だったか……とにかく、就職課を出たところで電話が鳴り、内々定の連絡を受けたのでした。


それで、2000年4月に晴れて入社となり、新入社員研修後に雑誌編集者として働き始めたのでした。


出版社も含め、メディア関係の新卒採用はどうしても高倍率になりがちです。

志望者が多く、採用数はうんと少ないからです。

就職活動の初期に試験があるのと、分かりやすい華やかさがあるのでしょう、場慣れのため、腕試しや記念受験的に受ける人も多かったように記憶しています。

だから、それで内定をもらえるなんてさぞ……と思われがちなのですが、そうとも言えないかなと思います。(このへんの話はまた別稿で……)


わたしが受験した年の倍率は、300倍と言われた記憶があります。

こうなるともう、運と縁だなという思いを強くします。


そもそも、編集や出版を専門的に学ぶ場がほとんどない日本で、学校で学んだことを評価されて編集者になるという人はほとんどいないのではないでしょうか。


だから今でも、宝くじに当たったようなものだと思っています。



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