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大変ご無沙汰しております。
三日坊主を地で行く、飽き性のWandervogelくりもときょうこです。


昨年はコロナ禍で売上ゼロの月も出てしまい途方に暮れた瞬間もありましたが、出版業界外にも仕事が広がり、なんとか生きながらえています。


HP内の記事を書くのは本当に久しぶりなので、今回は軽めのテーマで「編集者・ライターの七つ道具」としました。

このテーマにしようと思ったきっかけは、校正者の方がフリクションで赤字を入れていたこと。



ネットで調べると、今は「校正者の七つ道具」のひとつとして、フリクションを愛用している校正者が増えているようですね。

(逆に「絶対に使わない」「おすすめしない」と明記しているブログや校正会社もあります)


フリクションが日本で発売されたのは2007年。

ボールペンなのにきれいに消せるというこれまでにない特長があり、瞬く間に普及しました。文房具売り場には必ずあるロングセラーの人気商品です。

わたしも、仕事でもプライベートでもずいぶん愛用していました。


ただし、ゲラや消えては困る文書以外で。


というのが、フリクションは摩擦熱でインクを透明にするので、高温に弱いから。

(冷凍庫に入れると色が復活するらしいですが、消したくて消したところも同時に蘇るので水泡に帰すという意味では同じと思われ)

60℃以上で透明になるので、夏場の車中、冬場の暖房器具で消える可能性は十分あります。

実際、フリクションで宛名を書いた郵便物を車中に1日置き忘れ、宛名が消えていた! という体験をされた方もいるようです。


ということをFacebookで投稿したら、雑誌編集部にいらっしゃる方が「うちの部署はみんなガンガン使っていますよ」とコメントが。やはり利便性にはかなわないそうで。雑誌の場合は、諸条件がリスク低減に働くので、問題になりにくいのかもしれません。現場によって違うということは言えそうです。


とはいえ、わたしはやはり怖くて使えないのが正直なところです。
地方住みゆえ、赤字の入ったゲラをレターパックなどでやりとりすることになるので、輸送中の環境をコントロールできない以上、事故が起きる可能性は無視できないからです。


じゃあ何を使うのかって?

簡単に消えない、油性ボールペンか赤エンピツでしょうか。


前置きが長くなりました。

くりもと版「編集者・ライターの七つ道具」、まいりましょう。



1.パソコンとスマートフォン

写真:Lenovo ThinkPadE570をIKEAのノートパソコンスタンドに乗っけて使っています。テカテカは打鍵のしすぎで表面が削れたところです。そろそろ買い替えたい……。


ご多分に漏れず、これがないと仕事にならないです。書類作成、原稿執筆、調べもの、カーナビ代わり。


昔は「パソコンとFAXと名刺があれば明日からでもライターになれる」なんて言われていましたが、半分本当だと思います。

今はFAXは必ずしも必須ではないようで、家庭用複合機を買い替える時、FAXつきモデルが激減していてびっくり。うちにも今、FAXはありません。


現在、仕事をほとんどスマホでこなす方もいらっしゃるので、そのうちパソコンは必須ではなくなるかもしれませんね。

長文の執筆も、音声入力の精度が上がればスマホでこなせちゃうかもです。


ちなみに、仕事用のソフトでいうと「Adobe Acrobat Pro」のサブスクに入りました。

前はPDFは閲覧できれば十分だったんですが、デジタル化・リモート化が進んでゲラもPDFでやりとりするようになり、そこに追記できないと仕事にならなくなってきました。

ファイル送信サービスの「ギガファイル便」も愛用しています。


モバイルは一時期、「ガラケー+Wi-Fi専用iPad mini+モバイルWi-Fi」という布陣でしたが、ガラケーがキャリア的に風前の灯火になってきたので、「格安SIM+格安スマホ」に切り替えました。

通話は激減して、LINEやメール、Messenger、SLACKでやりとりすることがほとんど。著者や編集者とリアルに会わないまま仕事を完遂することも増えました。


あと、Googleマップ! 初めて行くところでも一切不安がないのはGoogleマップのおかげです。まあ、タダで使える代償としてわたしの履歴がビッグデータに吸い上げられているわけで、その点どうよという思いはありますが……。



2.名刺

この仕事に限らず必須ですね。

名刺は、うっかり忘れて平身低頭という失態を実際にやらかしたことがあるので、手帳にも忍ばせてリスク分散しています。

名刺は本当に便利で、人間関係の入り口でフックになりやすいので、仕事以外の時も持ち歩くようにしています。


ちなみに、名刺はネット印刷「ラクスル」のフォーマットをアレンジして自分でデザインしました。明朝とUD(ユニバーサルデザイン)系ゴシックでまとめています(誰も聞いていない)。ロゴのつばめマークは、ライツフリーのイラストを使っています。


わたしのメールアドレスは、kyokoではなくkyouko。分かりにくいですよね……(kyokoは取得できなかった)。
実際に先方の送信ミスが発生してしまったので、小さい赤丸のハンコでメールアドレスの「ou」のところを強調するようにしました。ちょいと不格好ですが、当面はこれでいきます。



3.ICレコーダー

レコーダーはカセットテープレコーダーの時代から使っていて、ICレコーダーに移行。

しかし、ファイル管理がやりにくく感じ、敬遠していました。


少し前に買った最近はやりの小型タイプは、小さすぎてさらに操作しにくくてすぐに使わなくなり。


結局、iPad miniのレコーダーアプリを使って録音、再生してました。

画面で操作できるから、すごく使いやすいんですよね。再生速度も変えられるし。

ただし、レコーダーとしては大きいので使いにくい場面も。


そこで、久しぶりに本腰を入れてICレコーダーを探しました。

選んだのはSONYのICD-UX575Fです。

画面が大きめで、再生で使うイージーサーチ専用ボタンがあり、「-3」と「+10」という非常に使いやすい秒数設定だったのも決め手となりました。

届いたものを開封してみると、「ち、ちっせぇ……」。サイズ感を勝手に思い込んでいたわたしが悪いのですが、今はICレコーダーは小さいのがスタンダードなんですね。操作性を考えると、もう少し大きくて重量があるほうがいいように思うんですが、需要がないですかね。
実際に使うのはこれからで、楽しみです。


録音する時は、取材の最初に「録音させていただいてもよろしいでしょうか?」と必ず尋ねますが、「録音されている」ということがプレッシャーになる取材対象者も当然います。

なので、比較的短い取材の場合はメモだけにして、レコーダーは回さないこともありました。

が、仕事が詰まってきて(それ自体は嬉しいことではあるのですが)、取材してもすぐに書けないということが頻発し、リスク回避のためにも必ずレコーダーは回すようにしようと方針転換しました。



4.筆記具

【画コンテ】エンピツとTombow PLAY COLOR2(水性ペン)

画コンテ(という名のポンチ絵)を描く時は、どうしてもエンピツなんですよねー……。シャーペンだと、筆圧がきつくなって消しゴムかけるのに力がいるのが好きではなく。削るのは面倒ですが、エンピツがやはりいちばん落ち着きます。


さらに、水性ペンで要素を色分けして見やすくします。

Tombow PLAY COLOR2は12色セットで1000円とお手頃。1色で太・極細のツインタイプです。発色がクリアで、乾けば落ちないところも便利なのです。


最近は、Wordで画コンテ描くことも増えました。もっといい描画ソフトがあるのかもしれませんが、何でもWordで作ってしまうのに慣れてしまって、「描きにくいナァ」と思いながら使ってます。


【取材時】uni-ball signo 0.38(ゲルインクペン)とPentelサインペン(赤)

取材の時は、signo0.38一択です。このペンだと、字がきれいに書けるんですよね(わたしの場合)。滑らかでノーストレス、実に気持ちよく筆記できます。

取材用のクリップボードに1本、手帳に1本と2本を並行して運用中。インクのリフィルも箱で買ってます。


長時間にわたる取材の場合は、どこの職場にも1本は転がっているのでは? というくらいメジャーなPentelサインペン(赤)でマーキングして整理しながら話を聞くことも。

一時期よくご一緒していたデザイナーさんがいつもこのサインペンを手に打ち合わせされていて、さらさらと装丁のラフを描いておられたのが印象的でした。



【ゲラ】uni JETSTREAM3(0.7)、エンピツ、消しゴム、付箋、メモ用紙

ゲラは、疑問を書き入れるのにエンピツ、明らかな誤字脱字などを書き入れるのに赤・青の油性ボールペン。あとは、エンピツを消す消しゴム、マーキングのための付箋、疑問点や表記の揺れなどを書き出すメモ帳(A4の裏紙を半分に切ってクリップでまとめたもの)あたりでしょうか。

油性ボールペンはJETSTREAMの3色ボールペンを使っているんですが、赤のつもりが青になってしまったり、赤だけ減りが早かったりといった点が悩みなので、1本1色に戻そうかと思っています。

油性ボールペンではJETSTREAMが一番かな。プライベートも含め、かなり長く使っています。

ちなみに、ペンケースは無印良品のクリアポーチです。

透明だと探しやすくて最高です。
小銭入れも透明です。
(料理家・平野レミさんのジップロック財布インスパイア系)



5.クリアファイル&インデックス型ポストイット

取材1件につきクリアファイルをひとつあてがい整理しています。関係資料はすべてここで一元管理。

インデックス型のポストイットで、一目でわかるようにしておきます。このインデックス型ポストイットがわたし的には超便利で、これもかなり長く愛用してます。インデックスがあるとないとじゃ、探しやすさは月とすっぽん!


PCの中は、取引先名→媒体名(プロジェクト名)→場合によってはさらに細分化して階層を作って管理します。あんまり細かくしすぎると探せなくなるので、分類はほどよいところで止めるようにしています。


プロジェクト型・シリーズものの仕事の場合は、20~60ポケットのフォルダーを1冊用意して一元管理です。



6.クリップボード&A4コピー用紙

取材の時に書き写すものは、取材ノート、メモ帳などいろいろ試しましたが、最終的にクリップボードにA4コピー用紙というスタイルに落ち着きました。

フォーマットが同じであること、1枚ずつばらけていることで、ファイル管理までスムーズに行えるということもあります。


左側に取材資料を入れます。2つ折りにできるので、資料が汚れたり傷んだりするのを防げるのもナイス。


ただし、コンサート取材などで、取材メモをとる姿自体が他のお客様の迷惑になりかねない場合は、手のひらサイズのリングメモ帳を使います。会場が暗いこともあってほぼ殴り書きです。


新聞記者や週刊誌記者の方は、大学ノートを使っている方が多い印象です。



7.gogakusha(五岳舎)のトートバッグ

取材バッグはけっこう大事です。というのが、取材先が整った環境とは限らないからです。キノコ狩り取材で急峻な山肌を歩き回るとか、巨大なダンプが行きかう採石場で話を聞くという場合も(実話)。


そこで、肩に掛けられて、自立して、ガバッと開いて、少々ラフに使っても大丈夫、そこそこきちんと感はありつつ好きなテイストということで、gogakusha×Ph.D.の受注会でオーダーしました(どちらも長野県のブランドです)。とても便利で、いつもこれで取材に出かけています。


車移動なので、外出時に荷物の量をあまり気にしないで済むのは助かります。ただ、取材の時はできるだけ身軽にしておきたいので、外出には必要だけど取材には不要なものは小さなトートバッグに分けて入れることもあります。

電車や徒歩移動が主だったら、リュックタイプにしていたかもしれませんね。



……という感じで、ガジェット好き、モノ好きのわたしの趣味がバクハツしてます。

特に昔から文房具は大好きで、あれこれと試していました。

今も、ときどき文房具売り場に行って、買うかどうかは別にして、「こんなものが!」「ほほう!」「よく考えられているなぁ」とひとり悦に入っております。

技術の進歩が慣習を変えるということも大いにありますね。

10年後、編集やライターの七つ道具はどうなっているのでしょうか。

こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


今日は、私の過去の仕事実績について紹介します。





【職歴】

総合出版社「講談社」で14年間、編集者として勤めました。

雑誌と書籍の編集をやっていました。

在籍期間:2000年4月~2016年3月

●青年情報誌『Hot-Dog PRESS』……カルチャー、旅、バイク、ファッション

●女性誌『FRaU』……カルチャー、映画、演劇

●男性週刊誌『週刊現代』……カラーグラビア(グルメ、旅、趣味)

●児童書(小学生~高校生までの読み物、ノンフィクション書籍)

……脈絡のないキャリアのおかげで、お世話になっていたライターさんに「サッカー以外はどんな話題でもついてきますね」とあきれられたほど興味関心の幅は広いです。現在は東京から長野県に移住し、フリーランスの編集・ライターとして活動しています。



【フリーランスとしての実績】(2019年4月現在)

●企業サイト用インタビュー&執筆「セイコーエプソン2020年度新卒採用サイト」

●長野県東信地域フリーペーパー『月刊とわいえ』人物インタビュー他

●長野県就職情報誌インタビュー「ツルヤ」

●自費電子出版の編集アドバイス

●web記事

・男性向けガジェット&ファッションメディア「Men's Modern」

・女性向け旅行・宿泊情報メディア「icotto」

・ライフスタイルメディア「キナリノ」

・お部屋探しや生活にまつわるオススメ情報「CHINTAI情報局」……and more.

……出版社でプロの編集者として仕事をしていた実績に加え、企業インタビュー、web記事のライティングを複数、継続して手がけた経験があります。熱量とサービス精神があり、要点をつかんだ読みやすい文章と評価をいただいています。バックグラウンドを理解した上で掘り下げる取材、執筆が得意です。プラン(テーマ)提案もお任せください。




こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


今日は、「ルビ」について書きます。

ルビというのは、文中の漢字や英語等のそばに小さくくっついているフリガナのことです。


――Wikipedia「ルビ」より引用

明治時代からの日本の活版印刷用語であり、「ルビ活字」を使用し振り仮名(日本語の場合)やピン音(中国語の場合)などを表示したもの。日本で通常使用された5号活字にルビを振る際7号活字(5.25ポイント相当)を用いたが、一方、イギリスから輸入された5.5ポイント活字の呼び名がruby(ルビー)であったことから、この活字を「ルビ活字」とよび、それによってつけられた(振られた)文字を「ルビ」とよぶようになった。明治期つまり19世紀後半のイギリスでは活字の大きさを宝石の名前をつけてよんでいた[1]。


宝石のルビーが語源なんですねぇ。


わたしは児童書の編集をやっていたので、ルビの扱いにはずいぶん苦労させられたというか、頭を使った記憶があります。


ひとくちにルビといっても、体裁、規則性をどうするかなど、一筋縄ではいきません。


体裁については、サラッといきましょう。

親文字(ルビを振る対象となる文字)に対してどの位置にルビを振るか、ということです。

親文字と肩を並べるように振る「肩付き」か、親文字に対して天地(左右)均等揃えで振る「中付き」があります。


さらに、親文字とフリガナを対応させる「対字ルビ」、親文字群に対してアキを均等にして振る「均等ルビ」、紀貫之(き「の」つらゆき)のように対応させる漢字がない読みを親文字と親文字の間に置く「字間ルビ」という考え方もあります。



また、拗音(ちゅ、ちゃ等)や促音(去って等)といった、通常なら小さく表記する字の大きさを他のルビより小さくするか、他のルビと同じ大きさにするか、も選べます。

小さくすれば拗促音であることが一目でわかりますが、いかんせんさらに見づらくなる。

大きくすれば、拗促音であることはわかりにくくなりますが、見やすさはキープできます。

写真:こちらは新潮文庫の『金閣寺』(著:三島由紀夫)より。「肩付きルビ」「対字ルビ」「拗促音も同じサイズ」であることが見てとれます


写真:こちらは先日取り上げた内田洋子さんの『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(方丈社)より。「中付きルビ」「対字ルビ」であることがわかります。「脹脛」の「脹」はフリガナが3文字と多いので、親文字の字間を微妙にあけて調整しているのがわかります



あ、頭痛くなってきましたか?

そう、ルビはなかなかに悩ましいヤツなんですねー。



ここからは、児童書や幼児誌をやっている人ならではの苦労話を……。


ルビなんて、漢字全部に振ればいいじゃん!

という考え方で貫き通せるなら、こんな楽なことはありません。


が、子ども向けの読み物、それもそれなりにページに文字が詰まっている体裁のものを見ていただけるとお気づきになると思うのですが、かなりうっとうしいというか、暑苦しい見た目になるのは避けられません。


さらに、読書好きなお子さんだと、ルビだらけの本は子どもっぽくてイヤという意見もあります。

たしかに、いかにも児童書って見た目ですから、コドモ扱いされている感は否めません。


そんなわけで、本によってはルビだらけにならないように方針を決めて整えていく、という作業がプラスされます。


わたしがいた部署は対象が未就学児から高校生までと幅広いこともあって、本によってその方針を柔軟に変えられました。

だもんで、毎回毎回どうするか悩むことになるのですが……。


方針を決められず、校閲の方に「どうしたらいいですかねー? こういうとき『一般的にはこう』みたいなことはないんでしょうか」と下駄を預けたら、「いや、一般的にはというのはないんで、編集のほうで決めていただければいいですよ」と丁重に返されることもしばしば。


まずルビを振る対象は、ざっくり「対象学年以上で習う漢字&常用外&固有名詞」で考えることが多かったです。


対象学年の区切り方は、

未就学児 → 小学校1・2年生 → 小学校3・4年生 → 小学校5・6年生 → 中学生 → 高校生

という感じです。


その上で、じゃあどう振っていくかという規則性は、こんな感じで考えていました。


▲ルビが多くなる

総ルビ……漢字などフリガナが必要な文字にはすべてルビを振る

ページ初出……一ページの中で(以下同)

見開き初出……一見開きの中で(以下同)

章初出……一章の中で初めで出るどころだけルビを振る

初出……一冊通しで初めて出るところだけルビを振る

▼ルビが少なくなる

※上の表が間違っているとご指摘があり修正しました。申し訳ありません(-_-;)


小学校高学年以上を対象とした本になると、わたしはだいたい見開き初出で作っていました。

ルビが少なくて済むけれど、「あれ、これ何て読むんだっけ?」にも速やかに対応できるので。


ただ、大きな問題がひとつあります。

ゲラでけっこうな直しが入ってしまうと、ルビの位置がページや見開きをまたいでどんどん動いてしまうので、それを追いかけて修正するのにものすごい労力がかかるんです。


それこそ、目を皿のようにして潰していっていました。


ちょっと脱線しますが、見た目をすっきりさせる方法として、漢字をひらく(ひらがなにする)ということも原稿整理の段階でよくやっていました。

特に、接続詞や動詞はひらく傾向にありました。


最初は違和感ありましたが、慣れてくると普段のメールなどもひらき気味になって今に至ります。

わたしの書く文章に、「これ、簡単なのになんで漢字にしていないの?」ともし違和感を持たれたら、こういうことだとご理解ください。



児童書を離れてから思ったのは、ルビをなるべく少なくという気持ちもわかるけれど、でもやっぱり総ルビがいいんじゃないかな? ということです。

その場で読めないとあまり意味がないからです。


いちおう、対象学年以上で習う漢字は……としてはありますが、読むタイミングによってはまだ習っていないという場合もあり得ます。

編集者なりに考えてやっていることではあるのですが、もしかして若干机上の空論? と、児童書編集者でなくなってから感じた次第です。


習っていない漢字や読み方をルビで覚えていった記憶をお持ちの方も多いのではないでしょうか。


ちなみに、児童文庫の「講談社青い鳥文庫」は原則総ルビという方針で作っています。



これもまた、正解のない世界ですね。

編集者とてリソース(時間・体力・集中力・眼精疲労)は有限ですから、ルビで四苦八苦していた時間を企画を練るといった作業にもっと振り向けたほうがよかったんじゃないか、と今になって思うのでした。












こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


前回好評だった「社内おもしろい人列伝」の二人目です。


といっても、わたしは直接知らない方です。

夫からの口伝でしか知らず、でもすごくおもしろくて会ったこともないのに姿が目に浮かぶような人です。

せっかくなので、ここに書き記しておこうと思います。



その方のお名前は……「玉ちゃん」としておきましょう。


玉ちゃんは「社宝」と呼ばれていました。

すごくないですか?

「社」の「宝」ですよ?


夫が入社して初めて配属された部署で、向かいの席に座っていたのが玉ちゃんでした。

部署で初めて飲みに連れて行ってくれた人でもありました。


「今日は、1軒15分くらいで20~30軒紹介してやるから」と豪語されて新宿に飲みに連れて行ってくれました。

しかも、「当分は飲みに行ったときに財布は出さなくていいから」と何とも気風のいい発言もセットで。

一体どんなめくるめく新宿の夜を過ごしたのだろうと思いきや、なんと3軒目で午前3時を回ってしまったそうです。


新入社員だった夫は翌朝早く出社しなければならなかったので、さすがに「もう帰っていいですか?」と玉ちゃんに尋ねました。

ベロベロに酔っぱらっていた玉ちゃんは新入社員が足手まといになっていたようで、「もういいよ」と解放してくれたとか。

ちなみに玉ちゃん、翌日は会社に出てきませんでした。


玉ちゃんはとにかく人気者で、飲み屋に行くとお店の人になかなか離してもらえず、それもあって3軒回るのに午前3時までかかってしまったようです。


ひとたび新宿に飲みに出れば、3~4日会社に来ないのはザラ。

一体いつ仕事をしているんだろうと、夫は不思議に思っていたようです。

(会社では借りてきた猫のようにおとなしかったとか)

それでも原稿はちゃんと取っていたというのですから、社宝と呼ばれるだけのことはあります。

作家にもとても愛されていたそうです。


飲みの席でのエピソードには事欠きません。


次は、玉ちゃんが新入社員のときの話です。

歓迎会でしこたま飲まされた玉ちゃんは、泥酔してしまいました。

飲み屋の二階の階段に立ち、「ぼくは飛べるんだー!」と叫んで……ダイブ!

……入院して、しばらく会社を休む羽目になったそうです。


部内旅行に行ったときには、もちろん朝からずっと飲んでいるわけですが、帰りの車中でも飲んでいて、「これから新宿で飲むんだー!」と子どもが駄々をこねるように(実際、道に寝転んで手足をバタバタしていたらしい……)言い出し、周りはドン引きして「じゃあ、行かせてあげようよ」と送り出したという話も。


また、とあるバーのママ(ふくよかな方)とタクシーに同乗した折には、いつも通り泥酔していた玉ちゃん、何を思ったのかママのおっぱいを揉んだほうがいいのではないか、それが礼儀なのではないかと思ったそうで……。

タクシーの天井をずっともみもみしていたそうです。

酔っ払いすぎて、空間認識すらおかしくなっていたんでしょうか。

後日、そのママが「玉ちゃんったら、おかしいのよ~」と皆に暴露していたそうです。

ちなみにそのママ、お店に来たお客さんの前に立ちはだかり、「会いたかったワ、やりたかったワ」と言ってハグするというのが恒例だとか。


最後は、飲み過ぎてお義父さんの訃報を意外なところで知った話を……。

玉ちゃんの奥さんのお父さんはプロ棋士(八段!)で、そのお父さんが玉ちゃんをいたく気に入って「ぜひ娘と結婚してくれ」ということで結婚したそうです。

そんな風に見初められたにも関わらず……いつものように新宿で飲み、徹夜でマージャンした朝、飲み屋で開いた朝刊になんとお義父さんの訃報が載っていたのです。

玉ちゃん、「いけね! おやじが死んだから帰る」と言って慌てて帰ったそうです。

(携帯電話がない時代ならではの話ですね)


よくこれだけエピソードが出てきますよね……。

いかにも「ザ・オールドファッションド・編集者」って感じで、話を聞いているだけで何だかありがたい気がしてきますよ。


夜行性の玉ちゃんも運動神経はよかったようで、社内の文芸編集者の野球チームで活躍していたとか。

ピッチャーとして投げれば、蠅が止まりそうなほどのスローボールを投げるもんだから、タイミングが合わなくてみんな打てない。

(バッターとしては特に印象に残っていないらしい)


天は二物を与えずと言いますが、玉ちゃんは例外で、歩くだけで逸話が生まれてしまうようなところがあったんですね。


いい加減を絵にかいたような玉ちゃんですが、真面目で筋を通すところのある人でした。

バブル真っ盛りの頃、サントリーの会長が東北差別発言をしたことがありました。

それに憤慨した玉ちゃん、以来サントリーの酒は飲まないと、きっぱりサントリー断ちしたそうです。


真面目で筋を通せる人だったからこそ、酔っ払いエピソードに事欠かない規格外の人でありながら、作家にも飲み屋の人にも先輩にも後輩にも愛されて、「社宝」とまで呼ばれていたのだろうと推察します。



時は流れ、夫が入社15年目くらいのときに、ある作家のお葬式で玉ちゃんと会いました。

当時、玉ちゃんは校閲部に異動していました。

夫の顔を見るなり、玉ちゃんは開口一番「新連載で誤植出しちゃダメだよ~」とカマしてきました。

夫は編集長と一緒だったので、二人して恥ずかしい思いをしたそうです。

玉ちゃん、やるなぁ。



玉ちゃん、今は残念ながらすでに鬼籍に入っています。

最期も規格外で、ハワイに遊びに行った帰りの飛行機の中で眠るように亡くなっていたそうです。

(たまたまその機内に後輩も乗っており、その現場を目撃することになったとか……すごい偶然です)



玉ちゃん以降、今現在に至るまで、社内で「社宝」と呼ばれる人はいません。

これから先もこんな傑物はなかなか出てこないでしょう。

というか、こんな人、社会人としては常識外れもいいとこですよね。


ではなぜ、このような人が会社員として勤め続けることができたのか。

長くなったので、その背景については別稿に譲るとしましょう。




こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


昨日は製本について書きました。

今日は、本文がどんなふうに本のかたちになっていくかを書きたいと思います。


子ども時代、自分で本というか冊子のようなものを作ったことのある方は、けっこういらっしゃるのではないでしょうか?

そのときは恐らく、1枚の紙の裏表に絵や文章を書いて、それを何枚か重ねてステープラー(登録商標でいうところのホチキスのことです)で綴じて冊子にするというやり方だったのではないかと思います。


実際は、本の大きさそのままの紙の裏表に印刷をして綴じて……というやり方は無駄が多すぎるので、もっと合理的な方法を採用しています。


それが、実際の本の大きさよりうんと大きい紙の裏表にページを配置し、印刷して折って綴じて本にするという方法なのです。

考え方としてはきわめて素朴で、なかなかおもしろいのです。



実際に、紙とカッターで作ってみましょう。


紙は3回折ります。

これで16ページの本ができることになります。


例えばですが、紙のオモテはこんな感じ。


ウラはこんな感じ。

番号が逆になっているページがありますが、このように配置することで、実際に本のかたちになったときは天地が揃うのでご安心を。



で、この紙を折って、背をテープでとめて綴じます。


このように、まだ袋とじの状態ですね。


カッターで切り開くと……


本になりました!


本文は、このように大きな一枚の紙の裏表にページを配置して(これを「面付け」といいます)印刷し、折って綴じて小口を裁つという作業を経て完成します。


一枚の紙を折ったものを「折」と呼びます。

ひとつの折は、8ページ、16ページ、32ページ、64ページと8の倍数で構成されます。

この折を必要な分だけ用意して束ねれば本文部分が完成する、というわけです。


だから、本はだいたい8の倍数でページ数を調整していくのです。

(4ページ1折の折をつけたり、1丁<紙1枚。裏表で2ページ分>だけ貼りこむということも技術的には可能ですが、いかんせんコストが……)


わたしが児童書を作っていたときは、四六判である程度ボリュームのある本の場合は「ニゴロ」つまり「256ページ」がもっとも採算と値付けのバランスがよいと試算が出ていました。

それで、本文用紙で作るページはちょうど256ページになるように台割を考えていました。

 *四六判……「しろくばん」と読みます。書籍のサイズのひとつ。日本ではこのサイズの

       本が多い。印刷する際の紙の大きさは788mm×1091mm(明治時代にイギリス

       から輸入されたクラウン判が元)。これを32分割すると188mm×130mmの大

       きさになる。四寸(約12cm)と六寸(約18cm)が名前の由来。出版社によっ

       て四六判の大きさは少しずつ違う 

 *台割……本の設計図。最初から最後までの構成が一目でわかるようにした表のこと


もし、表紙が取れてしまった状態の本を手にすることがあったら、本文の背表紙側を見てみてください。(できればある程度厚みのある本で)

折がいくつも束になっているのがわかると思います。


機会があればぜひ、手作りの本を作ってみてください。

子どもといっしょに作っても、面白がってもらえるかもしれませんね。




こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


昨日ご紹介した本で、製本について少し触れました。

その流れで、今日は製本のことを書きたいと思います。


といっても、専門家である製本会社の方ほど詳しくはありません。

書籍の編集をやっていたのも5年ほど。

ざっくりとしたことのみお伝えします。

(万一、間違いがあったらお知らせいただけると幸いです)



日本で現在流通している書籍の大部分は、大まかに分けて3種類の方法で綴じられています。


 ・上製

 ・仮製(並製)

 ・仮フランス装


特殊なものとしてリング製本などもありますが、今回は触れません。


その前に、書籍を構成するパーツについてお話しましょう。


写真:上から、「帯」「カバー(ジャケット)」「表紙」です。帯は宣伝文句を載せるためのもので、最近はかならずと言っていいほど付いていますね。カバーと帯の大きさがほとんど変わらない本もあります

写真:表紙をめくったところは「見返し」と言います。さらにめくると「扉(化粧扉)」。このふたつは装丁の遊びどころといいますか、個性あるテクスチャーや色の用紙でその本の雰囲気を伝える役目があります。この「見返し」「扉」、さらに表紙やカバー、「奥付」「口絵」「目次」といった本文以外のパーツを「付き物」と総称します



まずは仮製本からご紹介しましょう。

いわゆるソフトカバーです。

いちばん多く目にするのが、この仮製本ではないでしょうか。

表紙に芯が入らず、本文と表紙を一緒にくるんで裁断するため、本文と表紙(さらにカバーも)が同じ大きさになります。

コストを抑えられるので、定価もその分下げられます。

軽やかさ、カジュアルさがあり、コミックス、軽めの読み物、実用書などによく使われています。


ちなみに、本文の上の端を「天」、下の端を「地」、表紙側を「ノド」、開く側を「小口」と呼びます。



そして上製本。

いわゆるハードカバーですね。

表紙の中に厚紙等の芯を仕込んで厚く、丈夫にしてあります。

さらに、表紙は綴じた本体より数ミリ大きく作ってあります。(この少し飛び出た部分を「チリ」と呼びます)


本文は糸で綴じてさらに丈夫にする場合もあります。

特に絵本は、子どもがラフに扱っても簡単にバラけないように、糸で綴じることが多いですね。

(仮製本は糸を使わず、糊だけで綴じることがほとんどです)


ちなみに、表紙のいわゆる背表紙の形状を角ばらせるか(角背)、丸みをつけるか(丸背)、という選択も可能です。

角背は評論や難解な小説などの硬めの本で好まれます。

(ちなみに、角背でページ数があると開きにくくなるからあまりよろしくないとかつては言われていたようですが、今は分厚い本でも角背が採用されているケースも。製本技術の進歩でしょうか)


話が飛びましたが、上製本は堅牢で長期保存に向いています。

雰囲気も仮製本に比べて重厚ですね。

その分コストがかかります。


また、上製本はパーツが増えます。

本文と表紙の境目に、「花布(はなぎれ)」という布を仕込み、さらにしおりとしての機能を担う「スピン」もつけることが多いです。

花布やスピンはカタログの中から選びますが、ものすごい種類があるわけではありません。

それでも、本のいいアクセントになりますから、カタログを見るのは楽しいひとときでした。

(今は、装丁の雰囲気に合わせてデザイナーが指定することが多いでしょうか)



昨日の投稿で少し触れた仮フランス装は、どちらかというと仮製本に近いカジュアルな製本です。

表紙は本文よりだいぶ大きく、天地左右の余白を内側に折り込んで糊付けするという処理をします。

また、本文の天をアンカットにすることで、独特のラフな雰囲気が生まれます。

あまり使わない製本方法のせいか、コストは上製本と同じかそれ以上かかることも。

(安いという説もありますが、わたしの職場ではコストがかかると言われていました。できる製本所が限られていたのかもしれません)

フランス装は、その名の通りかつてフランスで一般的だった製本方法だそうです。

入手した人が、自分好みに仕立て直すことを前提とした簡易な製本なのです。

本文を傷つけずに解体でき、自分の好きな表紙をつけたり、本文をバラして別の本と合体させたり、なんてこともできたとか。

“自分だけの一冊”が作れるわけで、おもしろいですねぇ。


さらに本文も、天地と小口の三方が裁断されないまま、いわゆる「袋とじ」の状態で販売されていたので、自分でカットしなければなりませんでした。

自分でカットしますから、不揃いになって独特の味わいが出てきます。

仮フランス装と天アンカットがセットなのは、その名残と思われます。



最近は、ぱたんときれいに開く本もあります。

これはPUR製本といって、建築や車の分野で使われていた糊を製本にも応用したことで可能になった製本だとか。

柔軟性があるだけでなく、丈夫で紙のリサイクルの邪魔にならないので、特にヨーロッパでは普及が進んでいるようです。



以前、東京都新宿区にある加藤製本株式会社に見学にお邪魔したことがあります。

技術力に定評があり、製本会社としては規模が大きい会社です。

村上春樹さんの本は、加藤製本ご指名だという噂も。

いろんな機械を使いこなしつつ、手作業の部分が思いのほか多くて、まさに職人技。

改めて製本という技術に敬意を覚えました。

(余談ですが、夫がかつていた部署はあまりに進行が悪いため、懲罰的に「そろそろ製本所に見学に行ってくれ」と業務部から言われ、編集部ご一行で見学したことがあるとか。豆本をいただいたりして楽しく和気あいあいと見学した最後、きっちり「進行よくしてくださいね!」と釘を刺されたそうで……いやもうほんと、申し訳ないです)



製本は、もちろん完全手作業でも可能です。

製本のワークショップなんかもあるようですね。(そういえば、加藤製本さんの見学の最後に手作業で製本をした覚えが……!)


機会があればぜひ、チャレンジしてみてください。




こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


この三連休は一旦投稿をお休みしました。

また今日から再開です。


今日は、一冊の本をご紹介しましょう。

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』著:内田洋子(方丈社)

2018年4月に刊行された本です。


著者の内田洋子さんは、長年イタリアに暮らすジャーナリストで、通信社を営んでおられます。

エッセイ集『ジーノの家 イタリア10景』(文藝春秋)で、日本エッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞をダブル受賞し、以降、主にイタリアを舞台にしたエッセイや翻訳書などを次々と刊行されています。


内田さんのエッセイは、わたしはよく知らないイタリアが舞台にもかかわらず、情景が詳細に目に浮かんできます。

と同時に、登場人物のごく個人的な世界というミクロな視点に分け入っていくミステリアスな雰囲気もあります。

余韻は深く、人生の妙味を味わわせてくれるところが堪えられません。

だからか、折にふれて何度も読み返しています。


その内田さんの最新作は、イタリアの出版業、とりわけ本の行商人たちがテーマです。

写真:上部20mmほどカットしてあるカバーを取ると、モンテレッジォの村の全景写真が表紙一面に広がるというドラマティックな装丁。製本は「仮フランス装」といい、軽やかさのあるしゃれたスタイルです。束の「天」が切り揃えられていないのも、仮フランス装の特徴のひとつです。仮製本(並製とも)よりもラフさがあり、どこかハンドメイド感があるところが洒落っ気の理由でしょうか



イタリアの山奥に、本を売り歩く行商で生計を立てていた村があったそうです。

イタリア国内にとどまらず、国境を越えて売り歩いていたというから驚きです。


その村モンテレッジォは、農地などなく野生の栗の木ばかりが生え、めぼしい特産品もないところです。

男たちが出稼ぎに行って糊口をしのいでいました。

景気が悪くなるとその働き口すらなくなり、それで行商に出かけるようになり、最終的に本を売り歩くようになったのだとか。


 何もない村。食うに困る暮らしだった。でもだからこそ村は今でも生きている。
 貧しかったおかげで、先人たちは村を出て国境をも越えていった。命を懸けた行商が、勇気と本とイタリアの文化を広める結果へと繋がっていったのです。
 読み書きのできなかった貧しい村人が、本を運ぶ。説明が付きません。奇跡のような話です。

(以下、同じ体裁部分は本書より引用)


内田さんはヴェネツィアの小さな古書店でその存在を知り、興味が湧いてその村の人に会いに行きます。


詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、ヨーロッパ(主にイタリア)の歴史と出版の歴史が絡み合う壮大な話になり、これがまたおもしろくて。


ご存知の通り、15世紀にグーテンベルクが活版印刷を発明したことで、出版業は爆発的に発展していきます。

中でもヴェネツィアがヨーロッパの出版の中心地となっていきます。

作られた本が15世紀では500万冊だったのが、活版印刷が導入された16世紀には2億冊まで膨らんだというから驚きです。


当時は、キリスト教関係の教義書、医学書、法学書といった専門性の高い内容の本ばかりで、おまけに体裁も重くて厚くて、庶民が手軽に読めるものではなかったそうです。

それを身近な内容で、軽く、薄く、装丁も簡素にして、おまけに書体まで考案して一般の人が読めるものにしていったのも、当時ヴェネツィアで出版人として活動していたイタリア人です。

この頃、いわゆる「文庫」も発明されていたそうですから、ずいぶんと早い段階で本のかたちというのはほぼ完成していたことがわかります。


そして、どうやって本とモンテレッジォに繋がっていくかというとですね、異常気象の年が端緒になったようです。

ますます食い詰めて行商することにしたモンテレッジォの村人は、最初は(日本で言うならば)お守りとカレンダーのようなものを売り歩いていたそうです。


折しも時代はリソルジメント(イタリア統一運動)のとき。

独立国家を築こうという機運の高まりが、人々の知識欲を刺激します。

「世の中で起きていることを知らなければ」「情報が必要だ」ということで、ちょうど普及しはじめていた本が求められるようになります。


そこで、行商人たちは本も売り歩くようになったというのが経緯のようです。


 「パンと本を食べて育ったようなものでした。両親は食卓でも、人気作家たちの新作や未回収の月賦などを話していたからです」
 本を読むことが好きで選んだ道ではなく、本を待つ人のために本屋になったのである。村人は、本を届ける職人だった。


行商人たちは、本を仕入れて売ることを繰り返しているうちに、お客さんの好みや関心のありかに精通するようになります。

本を読まずとも、触れてパラパラとめくるだけで、売れる/売れない、出来がいいということまで見抜き、しかもそれが当たる。

(興味深いのは、紙と余白の大切さを強調している点です)


出版社はこぞって行商人たちのところへ赴き、読者が求めているものや意見などを聞き、次の企画に反映していったそうです。


次第に「モンテレッジォに任せるに限る」とまで信頼され、「売れた分だけ払ってくれればいい」という信用取引に発展していきます。

今は珍しくない、委託販売のはじまりです。


さらには、イタリアの最も由緒ある文学賞の創設にまで至ります。

その名も「露天商賞」。

ちなみに、第1回目の受賞作はヘミングウェイの『老人と海』です。

今でも、いわゆる業界の思惑とは距離を置いたインディペンデントな文学賞として信頼されているそうです。


モンテレッジォの子孫たちの中には、イタリアの都市で書店を開くなど、今も本に関わる仕事をしている人がいます。

そして、今も村の夏祭りでは古本市が開かれるそうです。


一大歴史絵巻をひも解いていくといいましょうか、現在にも脈々と受け継がれるスピリットを感じさせる一冊でした。


出版業界の状況が厳しくなっているのは、日本もイタリアも同じです。

本に対してかつてのような憧れを抱けない、いや、本に敬意が払われない時代になっているのかもしれません。


それでもなお、かつて本が人々に運んできたものを思うと、感慨深いものがありますね。

こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


昨日はシリアスな内容だったので、今日はやわらかいネタでいきましょう。

わたしが最初に配属された部署は、ティーンエイジャーの男の子向けの雑誌編集部でした。

そこに、経理担当のTさんという男性がいました。

もうあと少しで定年というお歳だったかと記憶しています。


Tさんは、明らかにカツラとわかる髪型をしていて、色付きの眼鏡をかけ、うっすら化粧をしていました。

服装はスーツです。

机にはいつも大きな湯呑みが鎮座し、暑くなると優雅に扇子を取り出す姿が今も記憶に残っています。

最初のインパクトは相当なものでした。


外見は独特でしたが、他人を不安にさせる人ではありませんでした。

独特の優しい話し方で、おしゃべり好きで、わたしもよくTさんと他愛もないことをしゃべっていました。


Tさんはいろいろと逸話の多い人でした。


当時住んでいたのは、福島駅前のマンション。

なんと、毎日新幹線通勤していたのです。

「東京は空が狭い」と高村光太郎の『智恵子抄』みたいなことを言って、あるとき急に引っ越したのだそうです。

当然、交通費全額は出ません。規定外の分は自腹です。

「6か月定期券を買いたいけれど、高額なのでJRが作ってくれない」とボヤいていました。



男性の多い部署だったこともあってか、飲み会で盛り上がってくると決まった男性がスッポンポンになるのが恒例でした。(今は完全アウトですね)

あれはTさんの定年退職の送別会だったか、主役のTさんが脱がされてしまいました。

アクシデントにもかかわらず、赤だったか紫だったか、Tさんの下着はどう見ても見せパン……。

脱がされることを見越しての準備に、さすがTさんと恐れ入ったものです。



Tさんは元は営業の部署にいて、かつては地方の書店を営業で回っていたそうです。

あるとき、警察から社に電話がありました。

「おたくの本が川に大量に投棄されているんですが」

犯人はTさんでした。

辞書だったか、とにかく厚くて重い本の営業に回っていたTさんは嫌気がさして、その本を川にブン投げたそうなのです。

今となっては笑い話ですが、Tさんは一体どうやって切り抜けたんでしょうか。



Tさんは局の経理担当で、原稿料や経費などの伝票を整理する仕事をしていました。

いい加減な伝票やあやしい伝票はたくさんあったのではないかと思いますが、それでもTさんは“よしな”にやってくださっていたのだと、わたしは後ほど知ることになります。(Tさんも適当に処理していたのかもしれないですが)


定年退職したあとは、函館と京都に家を持って、悠々自適で暮らすのだと言っていました。それから何年か後、お亡くなりになったと風の便りに聞きました。


じつに楽しい人でしたが、Tさん自身は楽しい一生だったのだろうか。

Tさんの人生のほんの一部しか知らないわたしは、ついそんなことを思ってしまうのです。


こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


まずは、前回の投稿の最後に出したクイズの答えを。

正解は「備前焼は釉薬をかけない焼き物なので、『釉薬の変化』は間違い」でした。

校閲の「閲」の部分を実感していただけたのではないでしょうか。


前回の投稿を書いたあとに、原稿整理の重要なポイントを書き忘れていたことに気づきました。

それは、表現の問題です。


言論の自由とは言いますが、当然、公に何を言ってもいいというわけではありません。

表現の問題にはいろんなイシューがありますが、今回は差別表現についてお話します。


わたしがいた出版社でも、過去に差別表現のある出版物を出してしまい、問題になったことがあります。

わたしが知っているケースでは、部落差別に抵触していました。


部落差別については、新入社員研修でも講義がありました。

このときにとても印象に残っていたのは、関西や西日本で育った人は部落差別についてよく知っていて、東京を中心とした東日本で育った人は「それって、何?」と、かなりの温度差があったことです。

こんなにも違うのかと驚きました。

(わたしは九州で育ち、学校で習った記憶があります)


最近は、部落差別をはじめとする差別問題について「知るから差別する」という考え方をする人が出てきているようです。

性教育の「寝た子を起こすことになるからよくない」という考え方と似ていますね。


しかし、知らないというのは怖いことです。

知らないうちに人を傷つけ、差別される側の存在を脅かすという“罪”をおかすことになり得るからです。


差別をまったく知らないままで一生を終えられたらそれはそれで幸せなのかもしれませんし、「自分は、差別など受けたことも見たこともない」という人もいるかもしれません。


が、社会生活を営む以上、差別を巡る言説やデマ、言い回しから完全に逃れられる人はいないでしょう。

背景や意味を充分に理解しないまま、そういった言説を中途半端に聞きかじってアウトプットしてしまう危険性は充分にあります。


「差別などない」と言うこと自体もまた、差別を受けている人を「透明化」する(いないものとする)かたちで深く傷つけることは知っておくべきです。


実際わたしは、差別について理解が浅いがゆえに失敗したことが過去にありました。

今思い出しても、その時傷つけた友人に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。


書くというのはアウトプットすることです。

アウトプットして人目に触れる以上は、差別問題には敏感でありたいですね。

(もちろん、メディアに関わる人間はどのセクションであっても、差別的表現とは何かに常に関心を持ってしかるべきだと考えます)


差別は、被差別者が声をあげることで問題としてはじめて“発見”されます。


40年ほど前までは、車いすを使っている人が路線バスに乗ることはできませんでした。

「それはおかしい、差別だ」と当事者が相当頑張って声を上げたので、今、車いすを使う方がバスに乗るのは当たり前の光景になっています。


今後も、差別問題はアップデートされていくでしょう。

わたしもまだまだ、知っておかなければならないことがたくさんあります。



こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


今日は、原稿整理のかなめである「校正」「校閲」についてお話します。


写真:校正記号の使い方の見本です。赤字を入れることを「入朱」といいます。赤えんぴつか赤い油性ボールペンを使います。フリクションペンを使う方も増えているようですが、高温でインクが透明化するのでゲラや公的な文書には危険です!



まず、このふたつの一般的な違いを見てみましょう。


――ホームページ「違いがわかる事典」より引用

 校正とは、誤字や脱字などの文字の誤りを正すこと。

 校閲とは、文章や原稿などを読み、内容の正誤や適否を確認する作業のこと。


校閲は校正からさらに踏み込んだ作業ということがわかります。


わたしが勤めていた出版社には、社内に校閲部がありました。

とても重要な仕事ですが、かならずしも出版社内にあるとは限らないのが校閲部です。

特に今は、外注する傾向にあります。


校閲がなぜ重要かというと、表記や内容に間違いのある出版物は信用を損なうからです。

誤字脱字だらけの履歴書では、採用したいという気持ちになれませんよね。それと同じことです。

お代を頂戴する出版物、いえ、ネットでタダで読める文章であっても、間違いがあると信頼度に大きく影響します。

この本は、講談社校閲局が編纂した『日本語の正しい表記と用語の辞典 第三版』です。

社内用に作っていた冊子を、一般の方にも使えるように改訂し、販売しているものです。

こういう指針はあるものの、どう表記するかを決めるのは校閲者ではなく、編集者です。

一般的にとか、原則はこうというのはありますが、その本や原稿の中での表記の統一や方針は編集者が考えなければならないことだからです。


校閲者はまさに職人です。

婦人誌に洋服の型紙を付録としてつけていた時代がありました。

その型紙で実際に洋服を作ってみて誤りや分かりにくい部分を指摘する、ということをやっていた校閲者がかつていたそうです。

仕事とはいえ、頭が下がります。


校閲部門で採用された同期が2人いましたが、慣れてくると、間違いが浮かびあがって見えるようになると言っていました。

目が校閲仕様になるというか、まさに職人の仕事だと感じ入ったものです。


とはいえ、原稿整理自体は本来は編集者の仕事です。

新入社員研修で校閲局の方が「校閲の“閲”の部分は、本当は編集の仕事なんだけどね」「校閲の仕事が増えている」とおっしゃっていました。

刊行点数の増加もありますが、編集者の力量が落ちていること、仕事のやり方が変わってきている、ということを言いたかったのだと思います。


書籍の場合は、入稿前に校閲に話をしておき、初校が出てきたら打ち合わせをしながらゲラを渡します。

 *入稿……原稿を印刷所に渡すこと。印刷所で指定通りに版を組みます

 *ゲラ……ゲラ刷りの略。校正刷。組んだ版を校正用に刷ったもの。最初に出てくるゲラ

      を初校と呼びます。正ゲラ、控えゲラ合わせて3~4部出してもらうことが多

      いです


そのときに、原稿を書くにあたって参考にした資料があれば渡します。

校閲者からしてみると、この中で検証すればいいというように範囲が定まっていることは作業効率に大きく影響します。

ものによりますが、資料がまったくないと裏を取るための資料探しからやることになり、時間も手間もかかります。


そもそも、入稿時に編集者がきちんと原稿整理をしておかないと、後々ツケが回ってきます。

編集者が苦労するのは自業自得ですが、校閲者にも多大な迷惑をかけます。

間違いを拾いきれないまま出版するリスクも高まって、いいことはありません。


校閲者の飲み会はきっと、グダグダのゲラを渡す編集者、余裕のない進行が常習化している編集者への怨嗟に満ちていることでしょう。(ゴメンナサイ)

(余談ですが、わたしがいた会社の校閲者は酒好き、それも日本酒好きの人が多かったそうです。しかも、飲み会ではめちゃめちゃ飲む人、荒れる人も多いとか。普段仕事でなかなか飲めないせいか、はたまたストレス発散のためか……)


校閲から戻ってきたゲラには、明らかな間違いは赤字で、矛盾点、内容に関わる部分や念のための確認はえんぴつで指摘が入ってきます。

もう本当に、何度助けてもらったかわかりません。

「こんなところに気づいてくれたんだ……完全に盲点だった」

「こんなことまで調べてくれたんだ!」

と驚くこともしばしばでした。


ゲラは初校、再校と2回は出します。

都度校閲者に見てもらうのですが、それでも納品されてきた見本に間違いを発見してしまうことがあります。

特に誤字。

言い訳がましいですが、誤字は潰しても潰しても湧いて出てくるんですよね……。

見つけた時は、本当に脱力します。


今は、校正・校閲のクレジットのない本も増えています。

ネット上の原稿については、どれだけ校正・校閲を通しているのかさらに心もとないのが現状です。


校閲者の役割の大きさをぜひ知っていただけたらと思います。


最後に、新入社員研修で出た校閲クイズを。


「備前焼は、良質の土を使い、ひとつずつ手作りで成形し、乾燥させてから焼き締めています。土味がよく表れているのが特徴です。形も焼き味も釉薬の変化も、一点も同じものはありません」


間違いを探してみてください。(答えは次回投稿に掲載します)

こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


編集者はけっこういい加減、虚業だと書きましたが、その理由のひとつに、仕事が仕事っぽくないというか、遊びか仕事かわからないという性格があります。



わたしが雑誌編集者だったときは、

 ・ホストクラブに取材に行く

 ・ツチノコの抜け殻が出たという情報を元に取材へ行く

 ・寺巡りの連載

 ・ダンス特集でいろんなダンスを見たり知ったりする

 ・映画・演劇担当になって試写や公演をたくさん観る

 ・グルメグラビアでお店を巡る(試食あり)

という具合でした。


仕事ではあるのですが、どう見ても楽しそう。遊んでるっぽい。

ツチノコなんて、誰も仕事だと信じてくれなくても仕方ないですね。


実際、楽しかった!

数えきれないほど、「ああ、楽しい」と仕事しながら噛みしめていました。


編集者は役得だなーと思うのは、「これ好き!」「これおもしろい!」「この人おもしろい!」となると、仕事に絡められるという点です。


例えば、これからブレイク必至と言われているフィギュアスケーターにいち早く目を付けた先輩が、その人を題材にした書籍のプランを出していました。

その後、そのスケーターは大大大ブレイクするのですが、当時は結局企画が通らなかったか、成立しなかったか……。(他人の企画ですが、あれはもったいなかった)

その先輩がフィギュアスケートが好きでチェックしていたからこそ、思いついた企画です。


別のところでは、わたしがおもしろいと思った人をFacebookで紹介したところ、編集者のとある友人にもビビビときたようで、その友人が携わっている雑誌でなんと原稿を依頼したとか!

しかも、今後連載もお願いするとかしないとか。


わたしは今はそのような動き方はできないので、うらやましくもありつつ、友人の仕事にナイスアシストできたことがとにかくうれしかったですねぇ。


もちろん、そのときに携わっている媒体によってはどうあがいても仕事を絡ませられないこともあるし、依頼したとしても断られることもあります。


いずれにせよ、好きなことが仕事として成立し、その上話題になったり大部数売れたりなんかしたらもう、我が世の春です。


今もつい、おもしろい人やおもしろい出来事に遭遇すると、「本にするなら……」などと、ひとりあれこれ夢想しています。

どんな媒体にするかはさておき、ひとり親方な今のスタイルでも、おもしろい人や事象を文章でかたちにしていきたいと考えています。


こんな夢が見られる程度には、編集者という仕事は遊びと楽しさに満ちています。




こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。


今日は、ノンフィクション作家の故・松下竜一さんのことを書きたいと思います。


  ――Wikipediaより引用

  松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6

  月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。

  主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。


松下さんを知ったきっかけはもう覚えていないのですが……。

『豆腐屋の四季』を読んで心震え、『底ぬけビンボー暮らし』のシリーズに泣き笑いし、すっかりファンになりました。


とはいえ、わたしはお会いしたこともなければ、原稿を依頼したこともありません。

わたしが編集者になって4年目にお亡くなりになっています。


ではなぜ今ご紹介するかというと、つい最近、同じく編集者である夫が松下さんの作品の再刊を担当したからです。


夫は10年先輩の編集者で、四半世紀以上になる編集者人生のほとんどを文芸編集者として過ごしてきました。

今は会社をやめ、フリーランスで書籍の請負編集をやっています。

夫の主戦場である文芸編集の蓄積を存分に生かせる、講談社文芸文庫の編集が主な仕事です。


夫は以前、文芸誌にいたときに松下さんに何度か原稿を頼んだことがあったそうで、そういうご縁もあり、今回エッセイ『底抜けビンボー暮らし』を再刊したというわけです。


松下さんはいわゆる食えないノンフィクション作家で、年収200万円前後でずっと生活していました。(奥さんとお子さん3人とともに)

しかも、0歳のときに高熱から右目を失明し、終生肺の病気に悩まされ、文字通り満身創痍という様相を呈しています。


痰が絡んで咳き込むので横になって眠れないとか、たびたび喀血するとか、とにかくよくぞ生きているという状態で、ノンフィクション作品のための取材や執筆をしたり、九州電力を相手取った社会運動に取り組んだりしていた方でした。


いかにも悲惨なキーワードに満ちているように見える松下さんの人生ですが、一方でこのエッセイで綴られるのは、笑いと幸せに彩られた日常生活です。


あとがきにも

  あとは松下センセの現実が“明るいビンボー”から“暗い貧乏”へと暗転しないことを祈るの

  みである。

と書かれています。


ある人を形容したり評したりするとき、ついわかりやすいキーワードに頼ってしまいます。しかし、人生の実相は哀しみと幸せがないまぜになったもので、ひと色ではありません。

そのことをはっきりと感じさせてくれるところに、強く惹かれました。


松下さんと奥様は、夕刻、河口まで犬の散歩に出かけるのが日課でした。

冬場は三日に一度くらいの頻度で、パン屋さんでいちばん安い食パンを6斤も買い、群れるかもめにちぎって与えるのもセットです。

たっぷり1時間はかかったでしょう。


お金があるとはいえない生活である上に、いい歳をした夫婦がふたりして楽しそうにかもめにえさをやっているというので、松下さんには「勤めに出ればいいのに」、奥様には「パートに出ればいいのに」という人もいたとかいないとか。


そんな世間の常識はどこ吹く風、と思っていたかどうかは分かりませんが、「浮世離れしている」と評されていた松下さんと奥様は、この散歩の時間こそがかけがえなく大事だと考えていたようです。


清貧とか、ビンボーでも幸せとか、キャッチーな言葉で形容することはいくらでもできるでしょうし、そんなご夫婦の姿に憧れる人も多かったようです。


わたしは、なんと形容していいかわからず、心を打たれていたのでした。


「貧しくても心は錦」と言ってみても、松下さんとてお金がないことをよしとしない気持ちはあったでしょう。

体のこともあって満足に働けないという現実に、悔しい思いをしたこともあったでしょう。

テレビドラマにまでなった『豆腐屋の四季』で良いイメージがついていたところを、「環境権」を掲げて豊前火力発電所建設反対運動にわざわざ身を投じ、おもしろいように人が離れていったという経験もしています。


その苛烈さと、きらめく海を眼前に越冬のために今年もはるばる渡ってきたかもめたちとの再会を喜ぶ姿のコントラストは、胸に迫るものがありました。


松下さんのノンフィクション作品は、一貫して孤立して闘う人の哀しみに迫っていると評されています。


『ルイズ――父に貰いし名は』

『風成の女たち――ある漁村の闘い』

『砦に拠る』

『どろんこサブウ――谷津干潟を守る戦い』

『怒りていう、逃亡には非ず――日本赤軍コマンド泉水博の流転』

『汝を子に迎えん――人を殺めし汝なれど』


松下さんが亡くなったあと、「松下竜一さんを偲ぶ集い」が地元・大分県中津市で開催され、全国から九百人もの人が集まったそうです。

ノンフィクション作家としては異例の、全30巻からなる『松下竜一 その仕事』という全集も発刊されています。


今回の再刊に際しても、松下さんの盟友・梶原得三郎さんが「松下さんのことだったら何なりと」と、多岐にわたって二つ返事で協力をしてくださったそうです。


じつに多くの人に愛された人で、亡くなって14年が経つ今もなお愛され続けている。

なぜ松下さんがこんなにも愛されるのかが、この『底抜けビンボー暮らし』にはよくあらわれているのです。