悩ましきもの、汝の名は「ルビ」
こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。
今日は、「ルビ」について書きます。
ルビというのは、文中の漢字や英語等のそばに小さくくっついているフリガナのことです。
――Wikipedia「ルビ」より引用
明治時代からの日本の活版印刷用語であり、「ルビ活字」を使用し振り仮名(日本語の場合)やピン音(中国語の場合)などを表示したもの。日本で通常使用された5号活字にルビを振る際7号活字(5.25ポイント相当)を用いたが、一方、イギリスから輸入された5.5ポイント活字の呼び名がruby(ルビー)であったことから、この活字を「ルビ活字」とよび、それによってつけられた(振られた)文字を「ルビ」とよぶようになった。明治期つまり19世紀後半のイギリスでは活字の大きさを宝石の名前をつけてよんでいた[1]。
宝石のルビーが語源なんですねぇ。
わたしは児童書の編集をやっていたので、ルビの扱いにはずいぶん苦労させられたというか、頭を使った記憶があります。
ひとくちにルビといっても、体裁、規則性をどうするかなど、一筋縄ではいきません。
体裁については、サラッといきましょう。
親文字(ルビを振る対象となる文字)に対してどの位置にルビを振るか、ということです。
親文字と肩を並べるように振る「肩付き」か、親文字に対して天地(左右)均等揃えで振る「中付き」があります。
さらに、親文字とフリガナを対応させる「対字ルビ」、親文字群に対してアキを均等にして振る「均等ルビ」、紀貫之(き「の」つらゆき)のように対応させる漢字がない読みを親文字と親文字の間に置く「字間ルビ」という考え方もあります。
また、拗音(ちゅ、ちゃ等)や促音(去って等)といった、通常なら小さく表記する字の大きさを他のルビより小さくするか、他のルビと同じ大きさにするか、も選べます。
小さくすれば拗促音であることが一目でわかりますが、いかんせんさらに見づらくなる。
大きくすれば、拗促音であることはわかりにくくなりますが、見やすさはキープできます。
写真:こちらは新潮文庫の『金閣寺』(著:三島由紀夫)より。「肩付きルビ」「対字ルビ」「拗促音も同じサイズ」であることが見てとれます
写真:こちらは先日取り上げた内田洋子さんの『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(方丈社)より。「中付きルビ」「対字ルビ」であることがわかります。「脹脛」の「脹」はフリガナが3文字と多いので、親文字の字間を微妙にあけて調整しているのがわかります
あ、頭痛くなってきましたか?
そう、ルビはなかなかに悩ましいヤツなんですねー。
ここからは、児童書や幼児誌をやっている人ならではの苦労話を……。
ルビなんて、漢字全部に振ればいいじゃん!
という考え方で貫き通せるなら、こんな楽なことはありません。
が、子ども向けの読み物、それもそれなりにページに文字が詰まっている体裁のものを見ていただけるとお気づきになると思うのですが、かなりうっとうしいというか、暑苦しい見た目になるのは避けられません。
さらに、読書好きなお子さんだと、ルビだらけの本は子どもっぽくてイヤという意見もあります。
たしかに、いかにも児童書って見た目ですから、コドモ扱いされている感は否めません。
そんなわけで、本によってはルビだらけにならないように方針を決めて整えていく、という作業がプラスされます。
わたしがいた部署は対象が未就学児から高校生までと幅広いこともあって、本によってその方針を柔軟に変えられました。
だもんで、毎回毎回どうするか悩むことになるのですが……。
方針を決められず、校閲の方に「どうしたらいいですかねー? こういうとき『一般的にはこう』みたいなことはないんでしょうか」と下駄を預けたら、「いや、一般的にはというのはないんで、編集のほうで決めていただければいいですよ」と丁重に返されることもしばしば。
まずルビを振る対象は、ざっくり「対象学年以上で習う漢字&常用外&固有名詞」で考えることが多かったです。
対象学年の区切り方は、
未就学児 → 小学校1・2年生 → 小学校3・4年生 → 小学校5・6年生 → 中学生 → 高校生
という感じです。
その上で、じゃあどう振っていくかという規則性は、こんな感じで考えていました。
▲ルビが多くなる
総ルビ……漢字などフリガナが必要な文字にはすべてルビを振る
↑
ページ初出……一ページの中で(以下同)
↑
見開き初出……一見開きの中で(以下同)
↑
章初出……一章の中で初めで出るどころだけルビを振る
↑
初出……一冊通しで初めて出るところだけルビを振る
▼ルビが少なくなる
※上の表が間違っているとご指摘があり修正しました。申し訳ありません(-_-;)
小学校高学年以上を対象とした本になると、わたしはだいたい見開き初出で作っていました。
ルビが少なくて済むけれど、「あれ、これ何て読むんだっけ?」にも速やかに対応できるので。
ただ、大きな問題がひとつあります。
ゲラでけっこうな直しが入ってしまうと、ルビの位置がページや見開きをまたいでどんどん動いてしまうので、それを追いかけて修正するのにものすごい労力がかかるんです。
それこそ、目を皿のようにして潰していっていました。
ちょっと脱線しますが、見た目をすっきりさせる方法として、漢字をひらく(ひらがなにする)ということも原稿整理の段階でよくやっていました。
特に、接続詞や動詞はひらく傾向にありました。
最初は違和感ありましたが、慣れてくると普段のメールなどもひらき気味になって今に至ります。
わたしの書く文章に、「これ、簡単なのになんで漢字にしていないの?」ともし違和感を持たれたら、こういうことだとご理解ください。
児童書を離れてから思ったのは、ルビをなるべく少なくという気持ちもわかるけれど、でもやっぱり総ルビがいいんじゃないかな? ということです。
その場で読めないとあまり意味がないからです。
いちおう、対象学年以上で習う漢字は……としてはありますが、読むタイミングによってはまだ習っていないという場合もあり得ます。
編集者なりに考えてやっていることではあるのですが、もしかして若干机上の空論? と、児童書編集者でなくなってから感じた次第です。
習っていない漢字や読み方をルビで覚えていった記憶をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
ちなみに、児童文庫の「講談社青い鳥文庫」は原則総ルビという方針で作っています。
これもまた、正解のない世界ですね。
編集者とてリソース(時間・体力・集中力・眼精疲労)は有限ですから、ルビで四苦八苦していた時間を企画を練るといった作業にもっと振り向けたほうがよかったんじゃないか、と今になって思うのでした。
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