良い読み手は良い書き手になりうる
こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。
今日は、わたしが住んでいるところでは雨が降っていました。
ひとりならば読書三昧したいところですね。
出版社に勤めていた最後は、児童書の出版部にいました。
児童文学の新人賞を設けていた会社なので、年に一度、たくさん送られてくる応募原稿を部内で手分けして読んで選ぶ……ということをやっていました。
あるとき、新人賞を受賞した方の、二代目の担当編集者になりました。
打ち合わせで話をしていると、児童文学を中心にいろんな作品が話題にのぼってきます。
わたしは、児童書の編集者でありながら、いわゆる児童文学作品をあまり読んでこなかったので、内心冷や汗をかいていたのですが……。
その方を最初に担当した先輩(まさに発掘した人です)は、「良い読み手が良い書き手になるという好例ですね」というようなことを言っていました。
文章を書くスキルを磨くには、書いているだけではなかなか難しいと感じます。(プロは、ちぎっては投げちぎっては投げという具合にガンガン書くことも大事です)
糸をつむぐためには綿花や羊毛という素材が必要なように、言葉を紡ぐための素材も必要です。
「素材」は、他の人が書いた文章です。
それも、いわゆる名文や美文と言われるものです。
評価が定まっているものでもいいですし、ご自分が「これはいいナ」と感じるものでも構いません。
もちろん丸暗記すればいいという話ではなく、自分のものとしてアウトプットするには、一度自分の体に取り込む、というプロセスが必要です。
それが「読書」というわけです。
小説家を志す人の中には、過去の名作を写本するという人もいるそうです。
「書く」というのは肉体的な作業なので、体に名文を染みこませて自分の血肉にする狙いがあるのでしょう。
今はキーボードを叩いて文章を書くケースのほうが圧倒的に多いです。
そこにもまた写本のような効用があるのかないのか、もう少し検証する時間が必要かもしれません。
活字離れと言われて久しいですが、実は今の小学生たちは、その親御さんよりも本を読んでいるそうです。
「朝読」と呼ばれる読書運動が広がったことも大きいようですね。
(ただし、小学校高学年以降は、一握りの読書好きと、読書習慣から離れていく大半の子と分かれるようです)
わたしは、世の中のあらゆる情報は(今のところ)文章になっていることが多いので、まとまった文章を苦労せず読めるに越したことはないと考えています。(ディスレクシア等の障害がある方はまた別に考える必要がありますが)
本はずいぶん昔からありますが、これ以上変えるのが難しいと感じるほど、なかなかに完成度の高いかたちをしています。
電子書籍の登場でさらに便利になっていますね。
本は、自分が一から調べたり研究したり取材したりできない「未知」のことが、一冊読めばある程度わかるようにできているのですから、すごいことです。
しかも、おおよそ1000~3000円程度で買える。
本は安いなぁ、なんて思います。(実際、海外に比べて日本のハードカバー本は安いと言われています)
さて、子どもを本好きにするにはどうしたらいいでしょうか?
・そばにいる大人が、日常的に本を読んでいる。
・そこそこのボリュームの本棚がある。
・子どもが読みたがる本を読ませる(親の好み、願望を押し付けない)
これに尽きるのではないかと思います。
それでも読まない子は読まないし、親がまったく読まなくても読む子は読むので、一筋縄ではいかないのですが……。
とはいえ、親御さんが読んでいないのに子どもに「読め読め」と言っても説得力がないことは、幼い子どもにもはっきりわかるでしょう。
今は読書以外にも素晴らしい空想体験ができるアイテムがあります。
動画やゲームです。
これからは、映画『レディ・プレイヤー1』で描かれたような高度なVRもどんどん普及していくでしょう。
もうすでに出現してきていますが、読書以外のルートからも、感性の根っこを太く張り巡らせてクリエイターになっていく世代がどんどん出てくるのでしょうね。
時代は変わっていきます。
それでも、自らの血肉にしたものを糧に新しいものをつくるという営みは変わらないような気がします。
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