松下竜一さんのこと
こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。
今日は、ノンフィクション作家の故・松下竜一さんのことを書きたいと思います。
――Wikipediaより引用
松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6
月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。
主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。
松下さんを知ったきっかけはもう覚えていないのですが……。
『豆腐屋の四季』を読んで心震え、『底ぬけビンボー暮らし』のシリーズに泣き笑いし、すっかりファンになりました。
とはいえ、わたしはお会いしたこともなければ、原稿を依頼したこともありません。
わたしが編集者になって4年目にお亡くなりになっています。
ではなぜ今ご紹介するかというと、つい最近、同じく編集者である夫が松下さんの作品の再刊を担当したからです。
夫は10年先輩の編集者で、四半世紀以上になる編集者人生のほとんどを文芸編集者として過ごしてきました。
今は会社をやめ、フリーランスで書籍の請負編集をやっています。
夫の主戦場である文芸編集の蓄積を存分に生かせる、講談社文芸文庫の編集が主な仕事です。
夫は以前、文芸誌にいたときに松下さんに何度か原稿を頼んだことがあったそうで、そういうご縁もあり、今回エッセイ『底抜けビンボー暮らし』を再刊したというわけです。
松下さんはいわゆる食えないノンフィクション作家で、年収200万円前後でずっと生活していました。(奥さんとお子さん3人とともに)
しかも、0歳のときに高熱から右目を失明し、終生肺の病気に悩まされ、文字通り満身創痍という様相を呈しています。
痰が絡んで咳き込むので横になって眠れないとか、たびたび喀血するとか、とにかくよくぞ生きているという状態で、ノンフィクション作品のための取材や執筆をしたり、九州電力を相手取った社会運動に取り組んだりしていた方でした。
いかにも悲惨なキーワードに満ちているように見える松下さんの人生ですが、一方でこのエッセイで綴られるのは、笑いと幸せに彩られた日常生活です。
あとがきにも
あとは松下センセの現実が“明るいビンボー”から“暗い貧乏”へと暗転しないことを祈るの
みである。
と書かれています。
ある人を形容したり評したりするとき、ついわかりやすいキーワードに頼ってしまいます。しかし、人生の実相は哀しみと幸せがないまぜになったもので、ひと色ではありません。
そのことをはっきりと感じさせてくれるところに、強く惹かれました。
松下さんと奥様は、夕刻、河口まで犬の散歩に出かけるのが日課でした。
冬場は三日に一度くらいの頻度で、パン屋さんでいちばん安い食パンを6斤も買い、群れるかもめにちぎって与えるのもセットです。
たっぷり1時間はかかったでしょう。
お金があるとはいえない生活である上に、いい歳をした夫婦がふたりして楽しそうにかもめにえさをやっているというので、松下さんには「勤めに出ればいいのに」、奥様には「パートに出ればいいのに」という人もいたとかいないとか。
そんな世間の常識はどこ吹く風、と思っていたかどうかは分かりませんが、「浮世離れしている」と評されていた松下さんと奥様は、この散歩の時間こそがかけがえなく大事だと考えていたようです。
清貧とか、ビンボーでも幸せとか、キャッチーな言葉で形容することはいくらでもできるでしょうし、そんなご夫婦の姿に憧れる人も多かったようです。
わたしは、なんと形容していいかわからず、心を打たれていたのでした。
「貧しくても心は錦」と言ってみても、松下さんとてお金がないことをよしとしない気持ちはあったでしょう。
体のこともあって満足に働けないという現実に、悔しい思いをしたこともあったでしょう。
テレビドラマにまでなった『豆腐屋の四季』で良いイメージがついていたところを、「環境権」を掲げて豊前火力発電所建設反対運動にわざわざ身を投じ、おもしろいように人が離れていったという経験もしています。
その苛烈さと、きらめく海を眼前に越冬のために今年もはるばる渡ってきたかもめたちとの再会を喜ぶ姿のコントラストは、胸に迫るものがありました。
松下さんのノンフィクション作品は、一貫して孤立して闘う人の哀しみに迫っていると評されています。
『ルイズ――父に貰いし名は』
『風成の女たち――ある漁村の闘い』
『砦に拠る』
『どろんこサブウ――谷津干潟を守る戦い』
『怒りていう、逃亡には非ず――日本赤軍コマンド泉水博の流転』
『汝を子に迎えん――人を殺めし汝なれど』
松下さんが亡くなったあと、「松下竜一さんを偲ぶ集い」が地元・大分県中津市で開催され、全国から九百人もの人が集まったそうです。
ノンフィクション作家としては異例の、全30巻からなる『松下竜一 その仕事』という全集も発刊されています。
今回の再刊に際しても、松下さんの盟友・梶原得三郎さんが「松下さんのことだったら何なりと」と、多岐にわたって二つ返事で協力をしてくださったそうです。
じつに多くの人に愛された人で、亡くなって14年が経つ今もなお愛され続けている。
なぜ松下さんがこんなにも愛されるのかが、この『底抜けビンボー暮らし』にはよくあらわれているのです。
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