【書評】『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』
こんにちは、wandervogelのくりもときょうこです。
この三連休は一旦投稿をお休みしました。
また今日から再開です。
今日は、一冊の本をご紹介しましょう。
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』著:内田洋子(方丈社)
2018年4月に刊行された本です。
著者の内田洋子さんは、長年イタリアに暮らすジャーナリストで、通信社を営んでおられます。
エッセイ集『ジーノの家 イタリア10景』(文藝春秋)で、日本エッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞をダブル受賞し、以降、主にイタリアを舞台にしたエッセイや翻訳書などを次々と刊行されています。
内田さんのエッセイは、わたしはよく知らないイタリアが舞台にもかかわらず、情景が詳細に目に浮かんできます。
と同時に、登場人物のごく個人的な世界というミクロな視点に分け入っていくミステリアスな雰囲気もあります。
余韻は深く、人生の妙味を味わわせてくれるところが堪えられません。
だからか、折にふれて何度も読み返しています。
その内田さんの最新作は、イタリアの出版業、とりわけ本の行商人たちがテーマです。
写真:上部20mmほどカットしてあるカバーを取ると、モンテレッジォの村の全景写真が表紙一面に広がるというドラマティックな装丁。製本は「仮フランス装」といい、軽やかさのあるしゃれたスタイルです。束の「天」が切り揃えられていないのも、仮フランス装の特徴のひとつです。仮製本(並製とも)よりもラフさがあり、どこかハンドメイド感があるところが洒落っ気の理由でしょうか
イタリアの山奥に、本を売り歩く行商で生計を立てていた村があったそうです。
イタリア国内にとどまらず、国境を越えて売り歩いていたというから驚きです。
その村モンテレッジォは、農地などなく野生の栗の木ばかりが生え、めぼしい特産品もないところです。
男たちが出稼ぎに行って糊口をしのいでいました。
景気が悪くなるとその働き口すらなくなり、それで行商に出かけるようになり、最終的に本を売り歩くようになったのだとか。
何もない村。食うに困る暮らしだった。でもだからこそ村は今でも生きている。
貧しかったおかげで、先人たちは村を出て国境をも越えていった。命を懸けた行商が、勇気と本とイタリアの文化を広める結果へと繋がっていったのです。
読み書きのできなかった貧しい村人が、本を運ぶ。説明が付きません。奇跡のような話です。
(以下、同じ体裁部分は本書より引用)
内田さんはヴェネツィアの小さな古書店でその存在を知り、興味が湧いてその村の人に会いに行きます。
詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、ヨーロッパ(主にイタリア)の歴史と出版の歴史が絡み合う壮大な話になり、これがまたおもしろくて。
ご存知の通り、15世紀にグーテンベルクが活版印刷を発明したことで、出版業は爆発的に発展していきます。
中でもヴェネツィアがヨーロッパの出版の中心地となっていきます。
作られた本が15世紀では500万冊だったのが、活版印刷が導入された16世紀には2億冊まで膨らんだというから驚きです。
当時は、キリスト教関係の教義書、医学書、法学書といった専門性の高い内容の本ばかりで、おまけに体裁も重くて厚くて、庶民が手軽に読めるものではなかったそうです。
それを身近な内容で、軽く、薄く、装丁も簡素にして、おまけに書体まで考案して一般の人が読めるものにしていったのも、当時ヴェネツィアで出版人として活動していたイタリア人です。
この頃、いわゆる「文庫」も発明されていたそうですから、ずいぶんと早い段階で本のかたちというのはほぼ完成していたことがわかります。
そして、どうやって本とモンテレッジォに繋がっていくかというとですね、異常気象の年が端緒になったようです。
ますます食い詰めて行商することにしたモンテレッジォの村人は、最初は(日本で言うならば)お守りとカレンダーのようなものを売り歩いていたそうです。
折しも時代はリソルジメント(イタリア統一運動)のとき。
独立国家を築こうという機運の高まりが、人々の知識欲を刺激します。
「世の中で起きていることを知らなければ」「情報が必要だ」ということで、ちょうど普及しはじめていた本が求められるようになります。
そこで、行商人たちは本も売り歩くようになったというのが経緯のようです。
「パンと本を食べて育ったようなものでした。両親は食卓でも、人気作家たちの新作や未回収の月賦などを話していたからです」
本を読むことが好きで選んだ道ではなく、本を待つ人のために本屋になったのである。村人は、本を届ける職人だった。
行商人たちは、本を仕入れて売ることを繰り返しているうちに、お客さんの好みや関心のありかに精通するようになります。
本を読まずとも、触れてパラパラとめくるだけで、売れる/売れない、出来がいいということまで見抜き、しかもそれが当たる。
(興味深いのは、紙と余白の大切さを強調している点です)
出版社はこぞって行商人たちのところへ赴き、読者が求めているものや意見などを聞き、次の企画に反映していったそうです。
次第に「モンテレッジォに任せるに限る」とまで信頼され、「売れた分だけ払ってくれればいい」という信用取引に発展していきます。
今は珍しくない、委託販売のはじまりです。
さらには、イタリアの最も由緒ある文学賞の創設にまで至ります。
その名も「露天商賞」。
ちなみに、第1回目の受賞作はヘミングウェイの『老人と海』です。
今でも、いわゆる業界の思惑とは距離を置いたインディペンデントな文学賞として信頼されているそうです。
モンテレッジォの子孫たちの中には、イタリアの都市で書店を開くなど、今も本に関わる仕事をしている人がいます。
そして、今も村の夏祭りでは古本市が開かれるそうです。
一大歴史絵巻をひも解いていくといいましょうか、現在にも脈々と受け継がれるスピリットを感じさせる一冊でした。
出版業界の状況が厳しくなっているのは、日本もイタリアも同じです。
本に対してかつてのような憧れを抱けない、いや、本に敬意が払われない時代になっているのかもしれません。
それでもなお、かつて本が人々に運んできたものを思うと、感慨深いものがありますね。
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